ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化振興 > 文化財 > 頴娃地域 > 鮫島因幡守宝篋印塔(市指定有形文化財)●御領田の神(市指定有形民俗文化財)
更新日:2022年8月14日
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頴娃小学校裏門近くに(外部サイトへリンク),安土桃山時代の天正3年(1575年)に作られました。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)は当時,身分の高い人の墓碑や供養塔として建てられたものです。鮫島因幡守宗勝は,伴姓頴娃氏第6代兼堅の頃,頴娃十二町の地頭であり,頴娃氏四家老の一人であったと伝えられています。
この宝篋印塔には,法名と生前の名前があわせて記してあり,たいへん珍しいものです。鮫島因幡守が居住した場所などを知ることができ,伴姓頴娃氏の歴史資料としての価値は高いものです。
この田の神のある一帯は「東新田(外部サイトへリンク)」と呼ばれ,江戸時代の元禄年間(1688~1703)に新田が開かれた場所と伝えられています。
この田の神は東新田の関係者によって弘化4年(1847年)に,稲が豊かに実ることを願って建てられました。
当時の名主・名頭・庄屋・田の神祭りの太夫及び田の神を刻んだ石工の名が記され,また門名も記されており,当時の社会構造をそのまま伝えています。
田の神像は礫岩製で,容貌は磨滅のためはっきりうかがい知ることはできませんが,着衣など一見農夫の姿に造られ素足です。右手に鍬を提げ,左手には飯杓子を持って左肩に担ぎ,腰に縄でつと状のものをさげています。
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