御領滝下の骨粉水車跡

更新日:2025年03月07日

公開日:2025年03月07日

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御領滝下の骨粉水車跡

御領滝下の骨粉水車跡

江戸時代,菜種の肥料として全国的に普及していたのは干鰯やニシンです。
ところが,薩摩藩では,江戸時代後半以降,牛馬の骨を砕いて肥料が使われていました。

そのさきがけとなったのは,知覧門之浦の海運業者,仲覚兵衛(なかかくべえ)です。
安永5・6年ごろ(1776・77年)に,覚兵衛が牛馬の骨が肥料になることに気づいて大阪から骨を持ち帰ったと伝わっています。

頴娃では,覚兵衛から相談を受けた海江田権八が,御領平瀬滝下に水車を設け,栫井市左衛門に製造させたといわれています。

場所は明確に伝わっておりませんが,滝下には,用水路の一部に石積みが残っています。

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