高田城跡(佐多城跡)
高田城跡の遠景
高田城の説明
高田城跡は別名「佐多城」と呼ばれています。
戦国時代末期の天正19年(1591年),知覧領主であった佐多久慶が川辺の宮村(現在の南九州市川辺町宮・高田・本別府)へ所替えとなった際に居城としたことに由来します。
城には尾根を遮断する堀や屋敷を取り囲む土塁,虎口と呼ばれる入り口など,敵を寄せ付けないための施設を見ることができます。
久慶はこの地で没し,火葬された場所に石塔が建立されていましたが,後に知覧の島津家墓地に改葬されました。城の周辺には高田にあった西山観音寺が阿弥陀堂等を何カ所か建立し,現在もいくつか残っています。
周辺の集落名は「城の下」,「城の前」,「城の後」など高田城跡に由来する地名となっています。
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更新日:2024年11月05日
公開日:2024年11月05日