【市指定史跡】宝福寺跡

更新日:2025年08月29日

公開日:2025年08月28日

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宝福寺跡

川辺町清水熊ヶ岳の中腹に,「薩州三ヶ寺」の一つとされる宝福寺がありました。
室町時代の応永29年(1422年),京都等で禅宗を学んだ字堂覚卍和尚(伊集院出身)によって開かれた寺で,清水・野崎を中心に多くの末寺(支配しているお寺)がありました。

「薩摩高野」とも呼ばれ,女性の入山は禁止されていました。
また,失脚した島津氏の重臣が幽閉されたことでも知られています。

覚卍が最初に開いた寺を元寺,その後新たに新設された寺を今寺といいます。
今寺は,『三国名勝図会』に絵図が掲載されており,その絵図で「厨(台所)」が描かれている場所からは,江戸時代の陶磁器が多く見つかっています。

他の寺と同じく,明治初めの廃仏毀釈で廃寺となりましたが,国有林となったために開発が入らず,当時の石垣や石段,歴代住職の墓などが残されています。

川辺茶発祥の地

宝福寺跡に自生するチャノキ

江戸時代,「山ん寺」と呼ばれた宝福寺ではお茶が栽培されていました。
宝福寺はいわば薩摩藩のお抱えの産地でしたが,廃寺になり茶の生産は途絶えてしまいました。
現在,お茶が生産されていた名残としてチャノキが自生しています。

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