ハンセン病問題を正しく理解するために

更新日:2023年12月01日

公開日:2023年12月01日

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ハンセン病とは

ハンセン病は、極めて感染力の弱い「らい菌」によって引き起こされる細菌による慢性の感染症です。発症力は非常に弱く、また、日常生活で感染する可能性はほとんどありません。「らい菌」はノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師が発見しました。

ハンセン病は治る病気

昔は「不治の病」と考えられ、また、感染によって手足などの末梢神経の麻痺や、皮膚に様々な症状が起こり、病気が進むと顔や手足が変形する後遺症が残ることもありましたが、昭和22年、プロミンという有効な薬が日本でも使用されるようになり治るようになりました。
現在では、いくつかの薬剤を組み合わせた多剤併用療法が用いられ、早期発見と適切な治療により確実に治るようになりました。わが国に感染源になるものはほとんどなく、たとえ感染しても早期に治療をすれば完治し、身体に障害が残ることはありません。

日本のハンセン病の歴史

わが国では、明治になって、早く欧米の仲間入りをしようとしている時に、欧米ではすでに過去の病気となっているハンセン病の患者がいることは「国辱」でした。そのため、明治30年の第1回国際らい学会で、ハンセン病が感染症であり隔離がよいと確認されたことと、欧米諸国との新条約の発効により、欧米人たちが日本国内を自由に居住、旅行できるようになり、神社・仏閣の門前などに患者を放置していると非難をあびるようになったことの2つの理由から、明治40年、「癩予防二関スル件」が制定され、この法律によって、患者を療養所に入所させ一般社会から隔離しました。
このことによって、人々の間に「ハンセン病は感染力が強くこわい病気」として定着してしまいました。昭和4年頃からは、各県において、ハンセン病患者を見つけ出し強制的に入所させるという「無らい県運動」がおこり、昭和6年に従来の法律を改定した「癩予防法」、昭和28年の「らい予防法」への改定後も、ハンセン病絶滅政策という考えのもと、すべての患者を入所させる強制隔離の政策は、平成8年の「らい予防法」廃止まで続きました。

解決に向けた取り組み

ハンセン病患者が、自分たちの権利を主張していこうと生活擁護の要求からはじまった戦後の運動は、人間回復のために闘う態勢を整えていき、「プロミンの獲得運動」「予防法改正運動」などがあり、全国ハンセン病患者協議会の結成となり、早くから隔離政策反対を唱えていました。
この患者側の人権回復の闘いが、平成8年の「らい予防法」廃止へとつながりましたが、法が廃止されても何も変化がなかったことから、平成10年7月、熊本・鹿児島の国立ハンセン病療養所の入所者13人により、熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟が提訴され、平成13年5月、同地裁で原告が勝訴、政府は控訴をせずに判決が確定しました。
国は、長年にわたる隔離政策の過ちを認め、患者、元患者の方々に対して多大な苦痛と苦難を与えたことを謝罪しました。そして、患者、元患者の方々が平穏で安定・安心な社会生活を営むことができるよう、補償や給与制度を設けるとともに、啓発活動を積極的に行うなど、名誉回復のための対策を進めています。
本県では、療養所入所者や退所者の方々への社会復帰等に関する相談業務や里帰り支援を行うとともに、多くの県民にハンセン病に対する正しい知識やハンセン病問題に対する理解を深めていただくために、様々な普及啓発活動を行っています。
また、市町村においても療養所退所後の支援や啓発活動が行われているところです。

ハンセン病を正しく理解する週間

本県では、ハンセン病問題に対する正しい理解の促進と、ハンセン病であった方々等に対する偏見・差別の解消に努め、これらの方々の名誉の回復を図ることを目的に、6月22日(厚生労働省が「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」として定めた日)を含む、日曜日から1週間を標記週間として定めています。

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