証恩寺跡

更新日:2025年09月25日

公開日:2025年09月20日

ページID: 10127
証恩寺跡

福昌寺(鹿児島市)の末寺として,島津氏九代久豊夫妻の菩提寺として応永年間(1394~1427年)の初めごろに創建した曹洞宗の寺院です。戦国時代に起こった「証恩寺崩れ」の舞台となった場所でもあります。

証恩寺崩れ

伴姓頴娃氏六代兼堅の没後,側室の帖佐氏の娘は,息子の久虎に跡を継がすべく,久虎の異母兄の九郎兼有を開聞宮で攻め滅ぼします。その後,久虎の母は横暴を極め家臣はニ派に別れ対立するようになったため,島津義久の命により対立した家臣たちは証恩寺にて自刃させられました。

五輪塔(ハラブッチョドン)

ハラブッチョドン

ハラブッチョドン

証恩寺跡の墓地の入り口付近にあります。もともと頴娃小学校内にあったものを,明治末~大正初めごろに移設したものです。高さ約188.5cmと大きなものです。頴娃山伏の始祖,盲僧浄破の墓石であるといわれています。

この記事に関するお問い合わせ先