知覧茶の歴史
江戸時代に栽培が始まると各地域に普及していき,大正時代の機械化により,一大産業に発展しました。
戦時中,不急作物として抜根され激減しますが,戦後,紅茶の栽培で持ち直します。
その後,国が貿易自由化を打ち出すと,紅茶を撤退。
いち早く緑茶へ転換して銘茶生産に努め,日本一のブランドに成長しました。
知覧茶の礎となる三地域(川辺・頴娃・知覧)の歴史
頴娃地域
1836年に頴娃町上別府,新牧の小磯与八,小磯助五郎,山下市左エ門が釘商の帰りに都城から茶の種子を持ち帰り,新牧の小和塚に播種したのが始まりとされています。
知覧地域
平家落人が知覧町手蓑(てみの)で茶栽培を始めたという言い伝えがあります。
本格的に茶栽培が始まったのは,1872年,島津氏の払下げの山野を開墾したのが始まりとされています。
川辺地域
1659年に生産が始まり,享保年間には薩州三ヶ寺・宝福寺で栽培された茶が江戸御用として献上され,1896年には鹿児島県内で初めて製茶機械を導入するなど歴史ある産地です。
日本一のお茶のまちへ
南九州市の茶業は約360年の歴史を経て,平成19年12月南九州市誕生と同時に国内最大級のお茶の産地となりました。
現在3,407ha(東京ドーム724個分)の広大な茶園で543戸の生産者,93の茶工場が丹誠込めて約12,966t(国内の約17%)の荒茶を生産しており,生産額は約111億円を誇ります。
また,全国・鹿児島県茶品評会等で産地賞や農林水産大臣賞等の特別賞を連続で受賞しています。
さらに,お茶の安全性や品質管理を行う,GAPやISO,JAS有機等の第三者認証についても積極的に取り組み,76の茶工場が認証を取得しており,全国の茶業関係者から大きな期待を寄せられている産地となっています。
知覧茶統一へ
平成19年に頴娃町,川辺町,知覧町が合併し「南九州市の誕生」が誕生しました。
これにより,南九州市は市町村単位で「日本一のお茶生産量を誇る町」となりました。
平成28年度末まで頴娃・知覧・川辺の旧3町の茶業者は,それぞれが誇りと責任をもって長年独自のブランドで茶業に取り組んできました。
これから未来永劫に茶業が繁栄することを誓い,茶業者が心一つに南九州市の茶銘柄を平成29年4月より「知覧茶」に統一する歴史的な第一歩を踏みだしました。
更新日:2025年02月25日
公開日:2024年12月02日