松山の水神様

知覧の中南部の畑作地帯である松山地区では、大きな川もなく豊富な湧水も確保できなかったため、昭和27年に完成した町水道による給水まで、水の苦労が続きました。
ため池や甕に雨水を溜め雑用水とし、飲料水は、湧き水や川の汲み水に頼っていました。
明治初年の頃に、カラマキ岳から孟宗竹の竹管による水道が敷かれ、明治36年には仁田比良を水源として竹管から土管の水道となり、昭和2年には土管から鉄管に変えられ、昭和27年に3カ所の湧水を水源とする町水道が完成しました。
この水神様は、宝暦8(1758)年と嘉永5(1852)年の2度にわたる池造営にともなうものです。
松山の集落内には、水に対する苦労の歴史が井戸発見記念碑・井戸を掘ったけれども水が出なかったという記念碑・上下水道記念碑・ゼンモンツボケイシ(水汲み場)などに深く刻まれています。
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更新日:2026年05月26日
公開日:2026年05月26日