手蓑の由来

手蓑地区木床にある後岳の茶碑
江戸時代,知覧の領主から急ぎの手紙を託された家臣が,峠で雨に降られ立ち往生してしまいました。
困った家臣は,生えていた茅を編んで蓑を作り,無事に手紙を届けたと言われています。
この話を聞いた領主が,この地に「手蓑」という名を与えたという説があります。
他にも,「てみの」を「てんの」と発音することがあることから,「山頂を表す天」から天野で,それを表記する時に手蓑となったのではないかという説もあります。
知覧茶は手蓑から
江戸時代の手蓑は,知覧島津氏の軍役地で杉の美林があり,採取できる杉は手蓑杉と呼ばれていました。
明治初期(廃藩置県)に杉をことごとく伐採し,土地は手蓑の人に払い下げられ,明治5年頃お茶が植えられました。
これが,「知覧茶」の発祥とされています。
また,周囲の「えい茶」,「かわなべ茶」より植えられた時期は遅かったとされていますが,発育が良好で,品質の良いお茶ができたことから,町外から技術者を招き本格的に茶園の拡大に努めたとされています。
※手蓑で茶の栽培が始まるまでは,お茶を屋敷の周りや畑の隅に植えて自家用としていました。
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更新日:2025年03月06日
公開日:2025年03月06日